管理司祭 ロイス上田亜樹子
25.11.9
ルカによる福音書 20:27, 34-38
今月の終わりにはもう「アドベント」(クリスマスを待つ4週間の季節)が始まります。アドベントは、教会の暦では新しい一年の始まりですが、その直前の11月(つまり一年間の終わり)は、さまざまな意味でいのちと死を考える季節にもなっています。「死んだあと自分はどうなるのか」「残された家族は」そんな疑問は、普段はあまり意識していないかもしれませんが実際は、常にわたしたちの心の中にあるのではないでしょうか。
古代ピラミッドの壁画にも、亡くなったあとに自分はどのように振る舞ったらよいのか「死後の自分のトリセツ」が描かれているということです。
あの世から戻った人の話は聞いたことがないので、死後の世界の恐怖や不安、心配や悲しみといったイメージに圧倒されてしまうことも、時にはあるかもしれません。そしてその力に押し潰されないために、たとえば「死」を人生とは真反対の存在として切り離し、考えないようにしたりもします。急ばしのぎには功を奏するかもしれませんが、一方長く続くと、いのちの輝きやかけがえの無さを、そしてその素晴らしさを、感じるのが難しくなるように思います。
イエスさまの時代の「死」の理解とわたしたちのそれとは、同じではないかもしれませんが、当時の人々も、たくさんの家族の死や親しい友人の死に時には二度と立ち上がれないような喪失感を味わっていたことでしょう。本日の聖書では、サドカイ派と呼ばれる人々からの質問にイエスさまが答えるかたちで話が始まっています。死後も現在のような社会制度が続くのか否かという質問は、一見「死後」の世界の話をしているようですが、しかし主目的はイエスさまとの問答ですから、内容はなんでも良かったのかもしれません。彼らの問いに答えつつも、イエスさまの心の中は、心の闇に支配され、心配や悲しみに圧倒されている人々のことが、頭から離れなかったに違いないのです。「神は死んだ者の神ではなく、生きている者の神なのだ。すべての人は神によって生きているから。」と言われる言葉の真意は、「心配しないで生きなさい。どこにいても、何をしていても、あなたを見守り支え、一緒に最後まで歩き通しますよ」という約束を、すべての人々に、そして漏れなくあなたに対して、伝えてくださっているのではないでしょうか。


